『Saving 10,000 自殺者一万人を救う戦い』

3月6日

国会議事堂の第一参議院会館の大会議室で、EUIJ早稲田、民主党内閣部門・厚生労働部門が共同主催した上映会を参加した。

『Saving 10,000 - Wining a War on Suicide』(自殺者一万人を救う戦い) 

という自主映画(ドキュメンタリー)でした。
昨日をもってYouTubeで全編を無料公開されたので、上映会参加できなかった方も見れる。 

監督はフィンランド出身で日本在住のEU外交官である同時に、大学の先生もある。
今回の作品で、監督デビューも果たした。 
彼が日本に対する熱い思いは、映画を通して感じられる。
仕事がてらに、二年を渡って、三人(監督と彼の学生二人)で作り上げた作品である。
一年は96人をインタビューした、一年は編集に取り組んだという。 

今回の上映会というと、前半部、つまり挨拶と上映会までは大変よかった。
この映画は問題提起や喚起に強いが、一般論と感情論に走る。
しかも、インタビューイは専門家から一般人まで、幅広いゆえ、偶に科学的な説明、根拠、統計データがあまり信憑性がないと思われる。
ただし、冷静に分析するより、この映画はメッセージ性がメインであり、一般大衆に喚起するために作ったものと感じられる。故に、そのような構成は悪くはない。
(日本の)自殺問題にあまり知らない人には、良い教材ではないでしょうか。

上映会の後半はパネルディスカッションだった。
監督、インタビューイの中の二人ーー僧侶(葬儀社の方)と「いのちの電話元常務理事」がパネラーを務めるという構成。
たぶん映画のように、分析するより問題提起に重視しているので、議論は宙に浮いてる感じがするのは否めない。 しかも、民主党の関係も絡んで、監督以外の二人は政治的な色も出したりした。それでも構いません。色んな意見が聞けるのも楽しかった。ただし、前に言ったように、自殺問題をもっと深く知りたい人には、あまり「大変勉強になりました!」という気はしない一時間だった。
映画にも共通するが、全ての議論が浅いところまでとどめている。例えば、文化論を持ちだされてもしょうがないが、何でもかんでも「日本だけは特殊」という考え方は腑に落ちない。もちろん、日本は「先進国」の中では自殺大国ということも半分事実ですが、もっと世界普遍的な視点から自殺を考えることで、より一層答えや対応の仕方を分かるようになるのではないか。それをせずに、文化論に走りたければ、もっと深くに踏み込むべきだなと思う。
一つの例として、映画にもある一つの台詞。「日本は、『曾根崎心中』という自殺を謳歌するような作品はバンバン売ってるような国」とか言って、それで終わり。だからなに?と聞きたくもなるわ。時代背景(曾根崎心中より前から年に一回「心中大鑑」も出版されていたし)、商人、女郎の社会地位と生活環境、流行っていた浄土真宗の極楽浄土思想、宝永の大噴火、大地震のような自然災害、忠臣蔵の話もあり、幕府の動きなどいろいろ絡み合ったのに、それだけを言うのは短絡すぎると思われる。それなら、最初からその話を持ち出さないほうがいいかも。

そして、三人とも日本のメディア(だけ)は悲劇やセンセーショナルなものがお好きみたいな言い方をした。先に言った、古き「曾根崎心中」みたいな話を出したのも、「これは日本古来からある傾向」と言いたかったかもしれない。では、「ロメオとジュリエット」は?「梁山伯與祝英台」は?(もちろん主人公が自殺に至るまでの、根底にある思想、状況と歴史背景は違うけど、どれもそれぞれの国や全世界に爆発の人気がある)つまり、日本だけはメディアが異様なほど悲劇やグロい記事が報道されているというのは、ありえない話。どこの世界でもセンセーショナルなものが大衆に人気がある。中国や台湾のメディアを見たらなおさらそれを理解できると思う。CNN、BBC、ABCなど大手報道局も、近年段々その傾向を見せているし。

パネルで、監督も「メディア関係の方はいらっしゃいますか?なぜ、悪い面しか報道してないと知りたい、いい話とかは報道しないの?」一人は恐る恐ると「報道してます」と言った。「あ、そう……でももっと報道すべきだね。」という感じになった。
確かに「自殺が減った、数値データで示す」ようなニュースはインパクトがないから、あまり大きな版で報道してない。それは仕方ない。
でも、一つ理由は、普段、いい話を裏付けるような「ストーリー性のある」データや出来事を見つけることが大変だからではないか。例えば、今回の映画作品は、朝日新聞と読売新聞もちゃんと報道したのに、それを無視するか?今回は、アイルランド出身の外交官が自主に映画作品を作る事自体ストーリー性があるから、報道しやすいから、取り上げられた(「ちゃんと報道している」と「大きく取り上げられている」はもちろん違う。現実問題を考えると、オスカー賞でも取ってないかぎり、大きく取り上げられていることは難しいけど)。つまり、それはマスメディアの体質にも関わること、むやみに批判すべきではないと思う。それが悪い体質だ!というと、それまでだ。では、なぜそんな体質になってる?のと考えるべきである。
一つの理由は、監督さん自身が示したように、報道しているのに、「知らなかった、ニュースが小ちゃいから知らなかった」という、一般大衆の反応。メディア側だけに問題があるのではなく、読者のリテラシーの問題もある。もちろん、今回の映画の成り立ちみたいに、「マスメディアはあまりやってくれないから、自分でやる!」という意気込みは素晴らしい。ただし、マスメディアがやってくれない理由はもっと深くある。悲劇の方が売れてるから、メディア側も悲劇記事ばかりに走る。売れなければそれをやる必要もなくなる。それもあるが、データやいい話でストーリー性が見つけて新聞記事にすることの大変さもある。それを報道するために、まさに、ドキュメンタリーの形式が合うし。でも、ドキュメンタリーを好んでよく見る視聴者層がそもそも一般読者よりも少ない。それでも、マスメディアもちゃんとドキュメンタリーをやっているし、いい話を全く報じないわけではない。メディアの影響で、一般向けに悲劇がどんどん売れてるからだという人もいるが、それは卵が先か鶏が先かの論争になる。私が言いたいのは、一方だけを批判するのは、無神経だということ。

「なぜそんなものを売る!理不尽だ!絶対止めるべきだ!」という姿勢だけでは、解決できない気がする。
「なぜそんなものを売る、そして売れてるの?調査してみたら、こういう理由は考えられる。では研究、検証しよう。うん、確かにこれやこれは理由ですね。では、この両方から切り込んで少しずつ解決しよう」という姿勢のほうがいいと思う。 

しかし、確かに一つは勉強になった。今までは社会学や心理学で自殺問題を考える傾向があった。今回のイベントによって、政治と経済という角度から、自殺問題を考えることも大切だという認識を持つようになった。しかも、政治的な動きや情熱な姿勢を見せることも大事だと気づいた。
それは、司会(EUIJの方)が三人に聞いた一つの質問で考えさせられたこと。
『自殺が減った社会にどんな想像や期待を持っていますか?』とのこと。 
今までは、社会学や心理学(もちろん実社会の政治経済問題も考慮にいれた)で学んだことから、『減らそう、食い止めよう』とは思うけど、「実際はどんな社会像、未来像を見たいか?」ということはあまり深く考えることはなかった。
それが、私にとって、今回のイベントを参加して一番勉強になったこととも言えるかな。

今回の上映会で配られたプリント。ここでダウンロードできます。

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